百舌のはやにえ

蛙やバッタを木の枝やトゲを利用して弱い力を補っているのは、観察上事実である。ただそれがはやにえの理由ではないのは、id:anhedoniaさんの推測どおりだろう。百舌が餌をとった時はまず棘に刺し、食う時は食うし、食わない時を人間が「はやにえ」と呼んでいる。NHKふしぎ大自然では、冬に餌の無い時期を経験しているので、腹へって無くても、獲物がいるときじゃんじゃん捕まえては棘に刺すと言っていたと思う。

生存適者日記「〜学的思考」より

生物学的思考=ある環境において得をするように行動した者が生き残るという前提での思考

生物学は生命の機能や形態、構造をいろんな自然科学の指標で明らかにするものであり、必ずしもそのような前提は無いと思う。

例えば、分岐学の始祖鳥は鳥類か?などという判断において、骨しか残っておらず、断片的な前後の年代の近類動物の骨と比較し、系統だてられる。その際において進化論の前提はあるだろう。

仮に永久凍土などから始祖鳥の器官、あるいは分析可能なたんぱく質が出てこようものなら、骨格の分析だけでなく、分子生物学やら細胞生物学の出番が出てくる。これらにおいては、なんらかの前提など学問の妨げだと思う。

大相撲13日目

天覧だった。琴欧州VS栃東がよかった。胸毛VS背中毛でもある。背中毛が勝利し一敗を守る。今僕が応援している白露山の頭に分けてあげたい。琴欧州と同じく朝青龍もらしくない3敗目を喫した。

散人さんのお言葉(リンク)

時には人間、狂っている方が「気持ちがいい」のである

は素直に名言だと思う。そこそこ酔っ払っていたけど、ひどく酔ったふりして、エッチだった僕が、気まずい翌日、「いやあ昨日は酔っちゃって。。」なんて言い訳しようとした矢先に女性のほうから、「わたし昨日飲みすぎちゃった」なんて言うもんだから、また狂いたくなった。狂っていれば、いつか高嶺の風車を打ち崩すかもしれない。違うか。

はてなブックマーク=俳句論

別に批判がいけないとか、無意味だという訳ではない。ただブックマークコメントの少ない文字数でできるものとは思わない。僕は少ない文字数でうまいこと言わなければならないブックマークコメントは日本人が5,7,5の少ない文字数で花鳥風月など詠うようなものだと思う。風流な遊びじゃのう。風流とは時に悪趣味である。